ふぁーべるの参考書
「旅する学び舎 ふぁーべる」で参考にしているものをいくつかご紹介します。
私自身もまだ完全に落とし込めてはいませんが、自分自身を顧みるチェックポイントとして使っております。
(それぞれタイトルにamazonのリンクをはっております)
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待たなくてよい社会になった。
待つことができない社会になった。
ものを長い眼で見る余裕がなくなったと言ってもいい。
未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、
いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。
待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。
ちょっと前に決めたことの結末である。
子どもが何かにぶち当たっては失敗し、
泣きわめいては気を取り直し、
紆余曲折、右往左往したはてに、
気がついたらそれなりに育っていたというような、
そんな悠長な時間など待てる人はいなくなっている。
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この本が出版されたのが2006年。
それからだいぶたちましたが、タイパという言葉にみられるように、
ますます待つことが難しくなってきているのではと感じることがあります。
その中にあってなお、「待つ」ということを考えることは大切なことだと私は思います。
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イドコロとは、
・正気を保てる環境
・社会的立場を超えて人が居合わせられて、対等に存在できる場
・ふらっと行って現状を話せる場所
・常にのしかかる精神負荷を一瞬でも軽くするような場所
・自分が居心地よく精神を回復させられる場(複数あることが大事)
・人が無理やり他人に同調することなく共感を得て元気が湧く場
その上で、
・広告や拡大志向と相いれない・正気を保てる安心感があってこそ、うまくいくかわからないことに挑戦できる
・そこにいることで精神を回復し、思考に活力が生まれ、風通しがよくなる
・「こうすればすぐに世の中が、自分が、変わる、良くなる!」といったインスタントな言説への期待は捨てて、今は正気を保ち力を蓄えることに注力しよう
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ふぁーべるも、複数あるうちのイドコロの一つとして、ふらっとよれる場所でありたいものです。
旅する学び舎ではありますが、そういう観点からは、一つぐらい拠点は作りたいなと思うこともあります。
「学ばせよう」「教えよう」とするのではなく、素朴なイドコロとしてありたいというのが願望です。
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東日本大震災以後〈絆〉という一文字が日本中を支配し、
それは大きな権力・権威となってわれわれを支配するようになった。
私はそれに対して限りない居心地の悪さを覚えている。
〈絆〉という一文字の絶対化が人の目を曇らせる、
細かく微妙に動く人の心の動きを見せなくするのだ。
かつて「お国のため」という言葉の絶対化が人びとの口をつぐませたように、
人々から批判的に考える力を削ぎ落し、
ただひたすら定型的な言葉を発して外形的に動くことを強制する。
〈絆〉とは麗しい言葉である。
だからこそ、そこには人を盲目にする暴力が潜んでいる。
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〈絆〉のようなよさげな言葉についつい流されてしまいそうになるのは私もそう。
たしかに流される方・乗っている方がラクなのですが、
「ほんとうにそれでいいのだろうか?」
「なにか大事なことを見落としていないだろうか?」
「それによって身近な人に辛い思いをさせていないだろうか?」
と少し立ち止まってみることも大事なのではないでしょうか。
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「あなたのため」という親から子への依存によって生まれる教育虐待の闇を照らす。
どこまでの厳しさが許されて、どこからが教育虐待なのか。
教育虐待を受けると子どもにどんな影響が出るのか。
教育虐待を受けて育った大人はどんな人生を歩むことになるのか…。
もしあなたが教育虐待の被害者であれば、本書が、過去の経験を客観視しその檻から抜け出すきっかけになればと願う。
もしあなたが教育虐待の加害者になることを恐れているならば、本書が、その不安を少しでも払拭できればと願う。
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タイトルは刺激的で、もしかしたら嫌悪感を覚えるかもしれませんが、
ぜひともその表紙をめくって中を読んでほしいと思います。
もともと生命科学を勉強してきたので興味の絶えない分野です。
たまに読み返しても、
「自分の体の中で起こっていることへの驚き」
「生きているということの不思議さ」
をいつも感じさせてくれます。
あまり専門的なところにとらわれずに、気軽にページをめくってもらって、
生き物、そして自分という人間の不思議さを感じ取ってもらえればと思います。