あるお母さんが、哲学対話を通して「物事を自分から切り離して考えられるようになった」と言っていた。
そして「日常生活で負っている役割を脇に置いて私という個でいられる場」ができ、「自由を体感できる」という。
哲学対話で私たちは自ら問い、考え、語り、他の人がそれを受け止め、応答する。
そして問いかけられ、さらに思考が促される。
こうして私たちはお互いを鏡にして、そこから翻って自らを振り返る。
自分自身から、そして自分の置かれた状況、自分のもっている知識やものの見方から距離をとる。
その時私たちは、それまでの自分自身から解き放たれる。
自分を縛っていたもの――役割、立場、境遇、常識、固定観念など――がゆるみ、身動きがとりやすくなる。
それは体の感覚としても表れる。先に述べたように、対話が哲学的になると、体が軽くなった感じ、底が抜けて宙に浮いた感じがする。
その時おそらくは、自分が思い込んでいた前提条件が分かって、それが揺らぐか、取っ払われたのだ。
自分とは違う考え方、ものの見方を他の人から聞いた時、新たな視界が開けるのは、文字通り目の前の空間が広がって明るくなる開放感として表れる。
今まで分かっていたことが分からなくなると、いわゆるモヤモヤした感覚、それこそモヤの中に迷い込んだ感じがする。
そうしたもろもろの感覚は、どこか似たところがある。何かから切り離された感じ。
自分をつないでいたもの、自分が立っていた地盤から離れる。
それは一方では、自分を縛りつけていたものからの解放感であり、他方で、自分を支えていたものを失う不安定感である。
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