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スタログ:今日の危機の性格(現代倫理学)

今日の時代に生きる誰もが経験していることの一つは、日常あまりにも戸惑いを感じさせる出来事が多すぎるということではないだろうか。

それらは、ゾッとしたり頭にカチンときたりすることをはじめ何とも理解しかねることばかりである。

しかし、それらもその性質に従って整理してみると、根本的には二つになるようである。

 

①全く不可解な出来事が突発的に起こるという場合

このようなことは、個人同士の関係においても、社会の中での関係おいても、そして国際関係においても常に経験される。

②アイロニカルな出来事

自己矛盾や自家憧着になるような出来事が、しかも大規模な仕方で起こる場合。

今までの時代なら有効であった方法や妥当と考えられていた理論を今日の諸問題に適用しようとするとそれが通用しない。

通用しないどころかかえってそれが事態をさらに悪化させる原因にすらなることが起こる。

これらは経済、政治の領域や政治的な集団行動などにおいて多々見られる。

 

我々は、今までの我々の頭の働きと行動とがそこにおいてすっかり慣れきっており、かつ有効であったその次元とは全く異なった高次の世界から起こされている問題にぶつかったがために全くの戸惑いのうちにあるという状態なのである。

しかも事態を解決しようとして、今までよしとされ有効であった方法を用いようとして、ますます悪い結果を招くというアイロニーに落ちいている状態である。

 

我々は、個々の現象としての問題に戸惑いながら、実はそれらを超えた巨大なスケールの問題の中に居合わせているのである。

 

キルケゴール:

「問いは知らない者によって発せられる。しかもその知らない者は、何が自分をしてそのような問いを発せしめているのかといこそ知らない。」