「わからなさ」の探求

ここ最近、『「わからなさ」の探求』というものが自分のテーマになりつつある感じがする。

「わからなさ」は「あいまいさ」と言ってもいいかもしれない。

 

  • 「わかる」ということ、「わからない」ということはどういうことなのか?
  • グレーゾーン、グラデーションというものの見方とは?
  • 「わからなさ」はどうすればもう少し扱いやすくなるのだろうか?
  • そもそもそれは可能か?

 

「理解できないものとの向き合い方」というところなのかなとも思う。

もっといえば「わからなさのあきらめ方」になるかもしれない。

はてさてどういう展開になってゆくやら。