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まだ僕らは子どもの頭はコップみたいなもので、知識を教えといたら自在に使えるとどっかで思っている。

とても興味深いディスカッション。

自分も頭のどこかで「子どもの頭はコップみたいなもので、水を注ぐみたいに知識が入る」と思っていた部分がある。

まだまだ浅学なので、「知識とは何なのか?」「人間の学びってどうなっているのか?」を深めていきたい。

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例えば子どもたちに、知識注入型っていうんだけど、知識は注入できないんですよ。知識注入型っていうのは子どもたちがコップみたいなもんだと思ったんですよね。コップに水を注ぐみたいに知識が入ると思っている。
でも、子どもはコップでもなければ真っ白な紙でもないんですよ。入らないんです。

A問題があんなに解けるのにB問題が解けないのは不思議に思いませんか?そもそも学習ってのは転移しないんですよ。あることを勉強してもその知識としてただ持っていても、一度も使った経験がなければ使えないんですよ。数独をやると頭が良くなるって言いますけど、数独をやると数独が上手になるんですよ。

子どもたちはいろいろな知識を持っていてこの知識をもとに新たな知識と出会ってそれを再構築するんだという風に考え方が変わってい来たんです。

ある意味の常識に反するんです。まだ僕らは子どもの頭はコップみたいなものや白い紙みたいなもので、知識を教えといたら自在に使えるとまだどっかで思っているから。それは違うんですよ。

意欲みたいに言うんだけどそうじゃなくて文脈なんですよね。このことを学ぶ文脈が自分にとって納得がいくかどうか。子どもたちは中身がわからないとか中身に関心がないとかじゃなくて、その中身が乗っている文脈が取れないとか文脈に関心がないんですよ。だから、文脈をもっと子どもにとって有利なものとか意味のあるものとか現実のものにしていく。
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