今日の危機は、一応われわれの眼には政治の危機や経済の危機やその他さまざまの社会問題の形をとる「社会現象」としてあらわれ、「社会の危機」として見えている。
多くの人々は、その原因を社会、あるいは、社会の体制の中に求めようとする。
その結果、その原因は、現代における大きな社会変化、つまり高度に発達した資本主義体制下における技術革新と管理社会の出現にあるとみなしている。
このような現代社会で人間が人間らしく生きるには主体性の確立こそ第一の倫理的課題になるが、それは単に個人的な精神的努力では不可能であり、資本主義社会体制を打ち倒すことによってのみ、はじめてそれは可能であるとして、現代社会の変革へ向かっての実践行動が叫ばれる。
しかし果たしてこのような考え方は正しいのだろうか。
また、この考え方の基礎ともいえる「社会のこのような見え方」は正しいのだろうか。
少し距離を置いて検討してみる必要があるだろう。
社会の実態をとらえその危機の本質を解明するには、少なくとも次の二つの問題があるのではないだろうか。
①「危機の本質」をとらえるための社会科学の問題
「危機の本質」を正確にとらえるには既存の社会科学の方や枠組みでは到底不可能であり、それにとらわれない真の意味において「科学的」という名に値する態度とそれに基づく新しい社会科学が必要とされている。
②今日の危機を問題にするその仕方そのものに関する問題
そもそも今日の危機を「社会の危機」として考えるような考え方自体が妥当なのかどうかという問題。
今日の危機は、一見、政治や経済の危機つまり「社会の危機」という形で表れているように見える。
しかし、それは人類の文明や文化の根源にまで遡って考えなければ解明しえない性質の危機ではないのだろうか。
この意味において今日の危機は、根本的には文化の危機だということができるだろう。
文化の危機は、長い期間人間の生活世界そのものをつくってきた危機のことで、その生活世界の中で生きてきた人間のものの見方、考え方、在り方を性格づけてきたものの危機のことである。
この意味において、「学問の危機」、すなわち、学問の基礎や学問の固定化された枠組み(問いの立て方、方法、体系等)の危機であるとともに、精神的な価値意識の体系の危機でもある。
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