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「嫌われる勇気」の読書会をやりたい #妄想録

「嫌われる勇気」の読書会をやりたいなと思っている。

アドラーの教えはとても価値あるものだと思うけれど、一人で背負うには厳しすぎると感じている。

それに一人でやっていると、自分に都合のいいように解釈してしまいがちだ。

(自分はそうなってるだろうなと感じているけど、誰かとの対話の中でしか気づけないと思う)

なので読書会でもやってみたいなと思っている。

次のお茶会ででやってみようかな?

あまり形式ばった感じより気軽な雑談ベースでできればいい。

 

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全体としての「私」があることをする、と決めたり、また、しないと決めたりするのですから、心のある部分はしたい、と思っているが、別の部分ではしたくないというような乖離はいっさいありえないのです。
わかっているができないというとき、実は、できない(cannnot)のではなく、したくない(will not)のです。
ある行為を選択する時点でその選択の責任はその人にあります。
その意味でアドラー心理学は責任を問う厳しい心理学である、ということができます。
しかし、他方、誤るにせよ選択の自由を認めるということから教育や治療の道は開かれている、と考えることができます。
(「アドラー心理学入門」p.144)

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https://note.com/ponmas/n/n8b9e22ec2c19?magazine_key=m8bc1868921e2