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家族ではない 「友達でも、仲間でもない 適度な距離感」

下の記事で紹介されている共生舎さんのような場所はどんどん必要とされてくるのではないかと思っています。

 

『“山奥ニート”が、見つけた幸せ~限界集落のシェアハウス~』

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210611/k10013077701000.html

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「こんな自分でもみんな受け入れてくれるんですよね。“逃げても別にええんやで”っていう。働いているときは、それは絶対的にあかんと感じてたことやったんで。逃げてもいいっていう選択をして、自分で自分を許すことができたっていうのが一番でかいですね。なかなかそういう環境じゃないじゃないですか。今の世間的には…」

 

「来てくれた人たちが“居場所があるんや”って気付きにつなげられるような場所ができたらいいかな。恩返しっていったらちょっと恩着せがましいですけど。僕がやりたい、できる範囲のことで、やれることがあれば、それがいいかなと思って。そのことで僕も、幸せになれるかなと思ったんで」

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似たようなところで「ギルドハウス十日町」さんに行かせていただいたことがあります。

なんとも不思議なところで、結構な人がいるのに居心地の悪さを感じず、気が付いたらほっこりしていました。

オーナーのハルさんが「ゲストハウスやシェアハウスじゃなく『住まい』にしたい」と言われていたのが印象的でした。

コロナ禍が落ち着いたらまた行きたいです。

 

『ゲストハウスやシェアハウスより「住み開き」。限界集落にある「ギルドハウス十日町」に、3年間で6700人が集まった理由』https://wirelesswire.jp/2018/05/65246/

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「人が集まる場のためにゲストハウスやシェアハウスを作るという考え方もあるかもしれませんが、私の場合、あくまで自分が死ぬまで楽しく暮らすという目的だったので。ゲストハウスやシェアハウスにしてしまうと、ベースが事業となってしまいますね。住まいと全然違います。どちらが良い悪いではなくて、あくまで『住まい』にしたいという考え方でした。
自宅に住みながら、お金を介さずに様々な人が訪れて、価値観を交換して息抜きする。みんなで『いただきます』と言いながら、家族のように食卓を囲んでご飯を食べたり…。こうした広がりは、住まいじゃないとできないと考えました」

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