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記事:「理解のある親」を演じていないか? 福岡の人気塾から見た親子関係の変化

また一つありがたい教育知をいただきました!

「ふぁーべる」でもやっていきたいことのヒントが詰まっています。

>「理解のある親」を演じていないか? 福岡の人気塾から見た親子関係の変化
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f416000660c7f8cf34a8b70e315eaaf60c4c0d9?page=1

以下記事抜粋

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・子どもの状況を見ながら、疲れてきたなと思ったら1時間の中でもコロコロと科目を変えます。この時間はこの科目と決まっていると、最後の方はだれてしまったり、時間が余ってしまったりします。長い目で見てつじつまが合えばいいと考え、飽きないようにしています。

・親は大切な存在だからこそ逆に言えない。友達は今の生活のしがらみそのものだから言えない。私はある意味無責任な存在だから聞けるし、子どもも言いやすいのだと思います。でも、何よりこの授業は私自身が楽しんでいて、彼はこんなことを考えていたのかと心の底から驚いたり、新しい知見を得たりする刺激的な場として大切にしていています。

・かつては、家庭に問題があるけど、ヤンキーになることでバランスを取っている、という子もいました。昔ならヤンキーになっていたような子は、いまは学校や友人関係からはじかれ孤立して、不登校になっている場合もあります。ヤンキーという少し怖い存在がいなくなったことで、多くの子にとって、学校は表面的には過ごしやすくなったのかもしれませんが、一方で居場所をなくす子や、感情のはけ口が見つからない子が増えるという副作用も出ていると思います。

・不思議なことに、精神的にもろい子の親ほど、理解のある親である場合が多いのです。いまの親の多くは子どもを否定しません。昔みたいに上からの押しつけではなく、理を尽くして説明します。先に正しさをお膳立てして話します。でも、そのせいで子どもが反発する機会を失っているのです。はっきりとした「反抗期がない子ども」が増えています。

・一つ言えるのは、親が子どもに配慮しすぎずに「勝手にする」のがポイントということ。子どもに関係なく自分の好きなことをやりまくるところを見せてください。そうすると、子どもは自分も好きなことをしていいんだと安心して伸びやかに過ごすことができます。逆に避けたほうがいいのは、親が子どもの日々の変化を見ずに、「この子はこういう子」と固定して見ることです。「こういう子」と規定すると、親は子どものことを分かっているという感覚を得られて気持ちいい。でも、子どもは親が規定した枠に自分を合わせようとしてしまうようになり、自由を妨げられてしまいます。

・やはり学校というのは集団を管理する場なので、相変わらず個人を集団に合わせようと指導が過剰になってしまう面はあります。そのような指導が合わない子は必ずいる。学校側から「来なくていい」とは言いにくいだろうけど、そうした子には「学校に行かなくていい」と第三者が言ってあげられる環境を社会で構築することが必要です。子どもって、学校と家庭が自分の世界のすべてと思いがちなので、親とそりが合わない子には「親を嫌いでも大丈夫」ということも伝えてあげるといい。他にもいろんな世界があるよと教えるだけで、考え方が変わってきます。

・いまは「いい大学に進学して、いい会社に入れ」と言うような親は減りました。そうした選択が、子どもの幸せにつながるとは限らないと分かっているからです。それなのに相変わらず、「ベターな選択」として「いい高校」「いい大学」を目指す。社会の不透明さが増す中で、受験熱はむしろ高まっていると感じます。

・成績がいいのはすごいけど、人間の価値はそれでは決まらない、成績に関係なくみんなが好きだよと正面から態度で伝えているからだと思います。社会に現に存在する順位づけや、順位を上げたいという欲求にふたをするのではなく、そこに乗りながら、でもそれだけじゃないよと伝える「二枚舌」が現実的ではないでしょうか。親が「成績がすべてではない」と言ってあげるだけでも違うと思います。

・親は文字通り子どもの「保護者」であり、子に対して責任があるから何かと過剰になりやすいのはあらがいようがないところでしょう。しかも、自分の子の性格を知っていると思い込んでいるので、子を責めがちです。
その点、塾や習い事の先生は他人であり、責任がないので過剰になりにくく、中立的に話すことができます。その子の性格をそれほど知らない第三者のほうが、その子に起きている現象を決めつけずにそのまま見ることができますし、自分自身を俯瞰(ふかん)することの大切さを子どもに教えやすい。私自身について言えば、大学院で精神分析を学んだことがとても役立っています。子どもに関わる仕事をする人は、心理学や精神分析を一度は専門的に学んだほうがいいと思います。

・子どもにとって、オンラインでつながることができるゲームは大きな存在です。大人たちには否定的にとらえられがちですが、いまや場所的な制約や年齢差といった障壁をやすやすと越えることができる重要なコミュニケーションツールであり、学校や家庭とは違う「第三の居場所」になっています。ただ、「第三の居場所」の役割をあまりにも強く担いすぎているのは問題です。ゲームの世界に救われている子がいる一方で、ゲームの画面上だけだとバランスが取れません。リアルを手放さないという意味で、リアルの場にも学校や家庭以外の居場所が必要です。その意味で、塾は勉強を教えるだけではなく、「第三の居場所」として大きな役割を担うことがあると感じています。

・塾の1階には書店があり、さらにイベントスペースを運営しています。12年ほど塾を続けてきたタイミングで、このまま子どもたちだけと関わるだけで年を重ねていくのは自分がダメになるという予感がありました。もっと大人と関わることで自分自身が成長しなければと。さらに、塾に通う中高生に「刺激物」を転がしておきたいという気持ちもあってできたのが1階のスペースです。本でもイベントでも、面白いものを彼らの視界に入れておけば、必要な子はにおいをかぎ分けて近寄ってきますから。

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