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状況倫理学②

友人から下の記事の紹介があり、「状況倫理学」というものを思い出したのでまとめています。

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『「なぜ道徳的であるべきか?」――永井均『倫理とは何か』(ちくま学芸文庫、2011年)より 』

https://note.com/free_will/n/nf359715e76cd

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■状況倫理学の主要な特徴
1.倫理における状況の意義
・行為の3要件
 ①形式、②内容、③状況規定性
・行為の形式と内容
 ・人間の行為を成り立たせている不可欠の要件
 ・形式:行為がそれ自体としていかに為されるかということ
 ・内容:行為が目指すところの目的、行為の結果とも関りをもっている
・状況規定性
 ・それが「いつ・どこで・だれによって」為されるのか
 ・行為の形式と内容を、行為の担い手たる個別的実存に即して、時間と空間の中でそのつど具体的に総合して現実化する
 ・ここではそれを行為の形式と内容に対しての“状況”と呼ぶことにする
・倫理の3つの契機
 ①行為の形式に対応する「理法」
 ②内容に対応する「価値」
 ③行為の置かれた状況に対応して理法を体現し価値を実現すべき「主体(人格)」
・「状況」とは倫理的行為において主体によって理法と価値とが結び付けられ、それらがともに現実化される局面
・理法、価値、主体という諸契機相互の結びつきは決して必然的なものではなく、考えれば考えるほど困難な課題であるように思われる
 ・理法は、それ自体として見れば本来「正しきことわり」として時間的・空間的制約を免れた純粋に普遍妥当的な原則
 ・価値は、主観的価値観を超えてアプリオリな序列構造をもつと考えられる
 ・行為の主体としての人間は常に特定の歴史的・社会的構造の中にまき込まれ、そこを離れては存在しえない
 ・倫理的な理法や価値の実現も歴史的・社会的に限定されたものでしかあり得ないと考えられる
・もしわれわれの常識や慣習におけるように、倫理というものが各自の実践に先立ってすでに現前している一定の掟や価値尺度と考えられるならば、そのようないわゆる「倫理」には、原則の普遍的妥当性が欠落しているか、実現における欺瞞性(タテマエとホンネのくいちがいなど)が避けがたくつきまとっている
・倫理における理法とその実現との解離こそは、自然的理法の場合と異なり、倫理的理法にただロゴスだけでなく一種独特のパトス的性格を与える根拠であるように思われる
 ・理性主義に徹したカントでさえ、「尊敬感情」という概念を抜きにしては道徳法則を語りえなかった
・われわれが倫理というものを自己の生に究極的意味を与えるものとして真剣に受け取ろうとすれば、どうしても普遍妥当的な原則とわれわれ自身の実存とが出会う場面を無視するわけにはいかない
・状況という概念は、われわれが倫理学というものを抽象的なレベルで純粋に理論的に取り扱おうとする場合には、背景に後退するかもしれない
・しかし、ひとたび倫理の問題を日常的生活世界の究極的意味に関する問いとしてとらえるとき、われわれはそれを自己の置かれた具体的状況(時間的・空間的に限定された個別的事例)に即して、考えないわけにはいかない
 ・このような意味での状況を離れて、倫理と生活世界との接点は存在しない


慶応義塾大学『現代倫理学の諸問題』より「状況倫理学」のまとめ