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状況倫理学⑤

友人から下の記事の紹介があり、「状況倫理学」というものを思い出したのでまとめました。

この⑤でまとめ終了です。

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『「なぜ道徳的であるべきか?」――永井均『倫理とは何か』(ちくま学芸文庫、2011年)より 』

https://note.com/free_will/n/nf359715e76cd

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■状況倫理学の問題点
・状況倫理学が現代人の倫理学的課題に全面的に応えてくれるわけではない
・「状況」という概念と、原則倫理学における「原則」との関係
 ・状況というのは、人間の生活を時間的・空間的に限定する要因
 ・人間存在には状況を“のりこえる”超越という契機も含まれている
  ・人間がさまざまな自然的もしくは社会的事象をそれ無限の変化の相において見るだけにとどまらず、一定の法則のもとに把握するのも、決してそのことと無関係ではない
 ・法則の普遍性・一般性という性格は、我々の視界を狭い時空的限定から解放する
  ・それにより周囲の環境に対する受動的適応から能動的実践へと向かうことをわれわれに可能ならしめる
  ・倫理的原則についてもあてはまる
  ・カントの「定言命法」
   ・普遍性の要求の仮借なき厳格さゆえに、前近代的な種々の制約のもとにおかれている人間にとって現実の歴史的・社会的状況をはるかに“超えて”本来あるべき理想と考えられた人間の在り方(「目的の国」への成員)へと自己を呼び出す理性の声、解放の原理でありえた
・もともと倫理的意味での原則というものは、理念ないし理想としてつねに多少ともこのような性格を保持してきた
   ・人間を歴史の中で現にある在り方から一層高次の在り方へと、自由のある特定の形式からより高次の形式へと引き上げようとするもの
   ・人間にそのつど特定の状況を乗り越えさせる原理であったと言い得る
  ・原則倫理学によるこの意味での状況の否定は、必ずしも状況倫理学が主張するように定命の無視ではなく、かえって状況の“のりこえ”を指し示すものとも考えられる
・倫理とういうものが本来各自の生き方にある種の統一性と方向性を与えるべきものであるとするならば、たんに状況内における個別的行為や判断の集積から自動的に生じることは不可能
・倫理とは、それらの行為や判断を無数の状況を包摂する統一性へと繰り込み位置づけることによって、我々を瞬間ごとの動物的反応のパターンから解放する原則だということもできる
・状況倫理学が状況内適応を強調するあまり、倫理的原則の状況否定性や状況超越的契機の意味を見誤るならば、それは倫理学的理論であるよりもむしろ所与の環境に対する適応の理論へと変質する危険がある
 ・その場合、価値観の多極化を認めるように見えて、かえってわれわれ各自の価値観の内的統一性を見失わせる結果となる
 ・日常的生活世界における倫理的判断の次元そのものの消滅を招くことにもなりかねない
・われわれは自分に与えられた限られた場において最もふさわしく振舞うことができるかもしれないが、それを超えて自己の置かれた世界全体を見失い、いわゆる機能的専門人として全体的にはかえって盲目的・受動的立場に追い込まれてしまう
 ・とくにテクノロジー万能主義が風靡する現代社会を顧みるとき、この点に状況倫理学が警戒しなければならない最も危険な落とし穴があるように思われる


慶応義塾大学『現代倫理学の諸問題』より「状況倫理学」のまとめ