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『学校に理想や完璧を求めること自体が間違っているのではないか』

>「理想の学校」という幻想を捨て、駄菓子屋さんになろうと思ったワケ。学校の諸問題を解決する発想の転換

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1f583bab50f01d2e198ed4196d0cc81312814a57

 

ひじょうに共感するところの多い記事です。

以下抜粋です。

 

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昔は、理想の学校をつくりたいなんて妄想をしたこともあったけどいまはやめました。

学校に理想や完璧を求めること自体が間違っているのではないかと気づいたんです。

そもそも子どもにとって大切なことをぜんぶ学校で教えようとする発想自体が危険なのだと気づきました。
学校が子どもの学びを丸抱えする社会だから、学校に行けなくなった途端にあらゆる学びから遮断されて、困ってしまうのです。

学校での教育が非常に効率的だったため、子どもにとって大切なことはなんでも学校で教えるようになり、学校の機能がどんどん肥大化していきました。逆に日常生活や地域社会の教育力が落ちました。(学校依存社会)

その末路が、教員の長時間労働であり、その結果としての教員不足であり、子どもにとっては学校での長すぎる拘束時間と、その結果としての放課後の消滅であり、ぼーっとする時間の消滅です。

学校から機能を「引き算」しなければいけないのではないかと思うようになりました。

学校が担っている機能を社会全体で少しずつ手分けして引き受けなければいけません。社会の中に、子どもの居場所をたくさん用意するということです。

教育にちょっと熱心な大人たちが町中のいろんなところにいる社会って、“理想の学校”がでーんとある社会よりも豊かだと思うんです。

学校のネガティブな部分に自分自身が染まらなければいいのであって、あくまでも一時的に表面的に“いい子”になりすまして、ある意味でやりすごす技術もある程度もっていたほうが、人生は楽になるかもしれません。
世の中の理不尽にいちいち立ち向かえるほど、私も含めて、多くの人間は強くはありませんから。

それでもどうしてもイヤだったら、学校なんていかなくてもいい……。
誰もがそう思える社会をつくることが私たち大人の責任だと、いま私は思っています。

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